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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

語彙が増えない「マトリョーシカ的日常」作者に応援のメッセージを!というジャンプの左端。

 いっこうに語彙が増えない。語尾も増えない。基本的に僕の文章はだである調で、ときおりですますが混ざったりする。一つの記事に対しては語尾は統一しているがだってばよみたいにあこいつだれか知ってる知ることができると僕と彼女を結びつけるそれが欲しい。八個入り百八円で打ってほしい。売ってほしいだよ打ってどうするんだよ。語彙の問題は語尾よりもずっと深刻だ。週に三冊のペースで本を読んでいる生活を半年以上続けているのでそれこそルビを振らなくちゃ読めない単語や凝った言い回しを使いたいのだが、どういうわけが誰かがそれを許さない。ブリーチでも読めば中二病とスペイン語が入り交じった不思議な掛け合いができるかもしれないが薄まったカルピスをさらに十で割ったようなストーリーを追う気力はない。大学院時代は研究室でジャンプとマガジンサンデーを定期購読しており、ついでに学生が集めた漫画が本棚を埋めてもう漫画喫茶じゃん開けるじゃんフリーパック七百円位のあれでと大満足のボリュームのキャンパスライフを送っていたためジャンプはかさばらずに読みこなすことができたが社会人となってはコンビニで毎週二百五十円払って分厚いざらざら雑誌を購入するのは気が引ける。うわーまたきたよジャンプマンとか言われるのかいや言われないだろうなジャンプを買う人間は沢山いるんだ。この世の中に何十万人といる。立ち読みする人を含めたら何十億人はいるだろう。友情努力勝利を全人類で共有できるレベルで存在している。そいつぁすげぇや。フライパンで四角い卵焼きが焼けるくらいすごいことだ。要チェックや。

 僕はこうやって文章をかさまししていく作業がすっごい苦手。誰かが解像度を増やせば文章沢山書けるよ!とのたまっていたけどそれは全くのでたらめではないかもしれないが僕にとっては嘘になる7:3くらいの嘘になる。醤油みりん大さじ2砂糖大さじ1の文量で甘い親子丼ができるけどそのくらい甘い幻想なんだよごめんねケンタロウさん。あれはきっと解像度を増やすんじゃなくてノイズを敏感にキャッチすることなんだよ。言ってること同じかもしれないけど違う。百八十度、いや五百四十度違う。これ大和田部長を演じていた人がルーズベルトゲームで喋ってたセリフね。きっと文章を沢山書ける人はノイズを捨てずに全部拾っちゃう人なんだ。僕はそれが出来なくて何を書きたいか何を伝えたいかをいのいちばんに頭に描いてから指を動かしてしまう。確かに書いてる最中に全然関係ないことが浮かぶことはよくある。よくあるんだよ。お腹空いたなあとか今日の講義よく分からなかったなとかコーヒー酒うまいなあタバコは吸わないぞとか。デスクまわり掃除しなくちゃ豆を煮なくちゃ布団干さなきゃとか雑務ばかり。自分の体がマルチタスクに向いていないのは百も承知なのでひとつやってからひとつとシーケンス制御で日々を生きている。宮本武蔵も言っていたよ、ひとをきるものなりと思って太刀を構えろって。毎度毎度で死に物狂いで目的意識を持って体を動かせばそれは途方もない距離感でマイル溜まるよね。使わないけど。そうやってノイズを受けきれないため小学校のころの日記なんて苦行以外の何者でもなかった。今日はなにもなかった。と一行しか思い浮かばないのだ。ああどうしよう1ページは(七、八行くらい)埋めないといけないのにって泣きながら今日やったことを思い浮かべたりもした。なんの懺悔だよお前んち無宗教だろ、仏壇も神棚もないだろってレベルで泣いていた。子供の頃は一日一日が勝負だからね。一週間むこうの予定を組み立てることなんて無理だったよ。クリスマスと誕生日は一ヶ月前からワクワクしていたけど。息をするように文章が書ければそれが最高で寝ぼけながらエディタ立ち上げて書評書いたりしたい。朝起きてうわーやべえ昨日ブログ書いてないじゃんっていうブロガーでしか共有できない感情を発散しながらスマホで自分のブログを覗いてみるんですよ。そうするとね、あれーこんな記事書いたっけなあという書評がね、あるんですよ。冒頭で一つの記事では語尾を統一してますよ(どや)って書いたけど早速やぶってしまった。この調子だと他の記事もばらばらの語尾が使われているに違いない。語尾が語尾がって語彙がないせいで語尾という表現が語尾しか出てこなくてごびごびごびごび、ここは砂漠か!というレベルで同一の単語が用いられている。自分で書いていて嫌になってくるよね。あぁ語彙を増やしたい!増やしたい!ノイズを受け取りたい!受け取りたい!時間指定なしでもいいし、代引きでもいいから受け取りたい!佐川でも西濃でもいいよ。ここやでここ(とんとん)言われても頑張るよ。こんなマトリョーシカ的日常を過ごしているわけだ。

 ブログ名の由来の話をしよう。そもそもこの記事は由来を話そうと思ってエディタを開いたのだ。ペンをとるなんて語彙もあるけど、さっき一度使って気に入ったからこの表現にしよう。以前は理系大学生の日常というごくごくありふれた名前だった。その前はここでもいえることだった気がする。しかしどっかのSEOブログの管理人が「ブログ名は検索してトップに出てくるものにしました」と言っていて、ああそうだな自分で検索する時も不便だしなとちゃきちゃきと変えることにした。マトリョーシカには全く思い入れがない。響きが重要だった。最初のマは安心感とか暖かみとかそんな雰囲気のある音だった。そしてマトリョーシカはその暖かみにやや青みを加えて知的なウィットなアイロニーな険しい眉間が出てきそうな理系っぽい音だった。日常はそのままにしてマトリョーシカ的日常。日々同じことの繰り返し、鋳型から生まれ研磨もしないため母性原理が働いて以前より優れたものは決して産まれないぜ。そういう皮肉も混めたブログ名だった。

 そのようになった。


今週のお題「名前をつける」

ナショジオ ワンダーフォトブック 砂漠 (ナショジオワンダーフォトブック)

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