マトリョーシカ的日常

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【書評】自殺とは生きる意志である。/「自殺について」【感想】

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自殺について (角川ソフィア文庫)

 先日、「誕生日に何かください」と言ったら、たくさんのプレゼントが届いた。あまりの数の多さに自分でもびっくりしている。これだけ本があれば今月は自分で買わなくても済むだろう。感謝!

 今日はその中から一冊を紹介する。ショーペンハウエルの『自殺について』だ。送り主は残念ながら分からない。ここ一週間ほどはてなブログでは自殺が話題になっていて、ちょっとした火もあがっている。ぼや騒ぎ。

 本の構成は二部に分かれているが、書かれている内容は似通っている。ただ、この文章はかなりの時間をかけて書き上げられている。巻末の解説によると、第一部は「一八一〇年より一八六〇年にわたって折にふれて書かれたもの」で、第二部は「一八五〇年に完成」されたものらしい。自殺というテーマはとても重く、著者も時間をかけてあれこれ考えたようだ。

 読んでみるとわけが分からなかった。解説者は「哲学書としては読みやすい」と言っているが、僕は全くのお手上げであった。哲学者というのはどうしてこう、難解な言葉遊びが好きなのだろうか。日本語なのに英語を読んでいるみたいだった。しかし、それでもページをめくりたくなった。彼の言葉には不思議な魅力があった。

自殺とは生きる意志。

 彼によると、自殺をしたら全てが消滅してしまうわけではないらしい。

 自殺によって滅ぼされるのは、生そのものではなくて、単に、それの現在的な現象だけであり、種族ではなくて、ただ個体のみにとどまる。

 どういうことなのか。前後を読み解くと少しだけ理解できた。著者が考える生死はただの現象、状態のひとつであって、ちょうどコインの裏表のようなものらしい。だからたとえ死んだとしても、なくなるのは体だけであって、本質は消滅しないのだ。本質について、彼はイデアとか物自体とか意識などの言葉を使っている。僕には違いが分からなかったが。

 また、驚いたのが「自殺は、まさしく、生きようとする意志のひとつの発現」と言っていることだ。「え、死ぬことが生きること?」逆説的な考えだ。この少し前に以下の文章がある。

すなわち、聖者は、生きようとする意志のひとつの現象であることを揚棄し、みずからその意志の向うところを転換させた人である。しかるに、普通の自殺者は、生活一般を意欲しながら、ただ生きようとする意志の個々の現象である自分自身に絶望し、それのみを破棄するのに過ぎない。

 少し悩んだが、ゲームのリセットボタンを連想したら理解が進んだ。例えばパワプロというゲームでは野球選手を育成することができるのだが、キャラクターの初期能力は毎回異なる。人によっては好みの能力が出るまでリセットを繰り返すことがあるだろう。これこそまさに、ショーペンハウエルが言う「生きようとする意志」なのではないか。ゲームのように人生のリセットボタンを押す人はいるのだ。

 山田悠介の小説に『スイッチを押すとき』という作品がある。これに登場する被験者は軟禁状態にさせられた後、『簡単に死ねるスイッチ』を手渡される。大人たちは彼らの行動を観察するのだ。スイッチと自殺を結びつける作品である。

おわりに

 これほど尖った本はなかなかお目にかかれない。自分が定まっていない、中高生のころに読んでいたらきっと重い中二病をわずらわっていただろう。著者も多くの批判や罵倒を受けたに違いないが、百五十年が経った現在でも読み継がれている。彼が現代に生きていたらハイパーマッチョブロガーとして、わっさわっさとPVを稼いでいたことだろう。

 訳が分からない本を読むのはつらい。でもそれが良書ならば楽しい。賢くなったような気がするからだ。全ての古典は良書である。時の試練に打ち克ったものは文章に普遍性があるからだ。

 角川ソフィア文庫の西洋哲学は他にも何冊かある。表紙のデザインが統一されているので、集めてみると面白いかも。

自殺について (角川ソフィア文庫)

自殺について (角川ソフィア文庫)