運転免許の更新は滞りなく終わった。料金を納める受付の隣で、交通安全のために余分に金払えと誰かが訴えていた。申し訳ないがお断りした。そんな持ち合わせはないし、車輪の下敷きにはなりたくない。ヘッセ的な意味で。
大きなものが僕らを動かしている。理系の言葉を借りると熱とか波動とかエネルギーになる。文系の言葉なら権力だろうか。権力のゾーンプレスに押しつぶされないよう、足に力を入れた。
権力というと、ビッグブラザーがみている、が頭の中で鳴り響く。ジョージ•オーウェルの代表作『1984年』だ。しかし彼の代表作ならば『動物農場』も外すことはできない。
農場で飼われていた動物たちが農場主に対して反乱を起こす。みごと独立を勝ち取った彼らは、全ての動物たちが平等に生きていける理想社会の建設を目指す。しかし、指導者の立場である豚たちが権力を乱用し始める。残されたのは以前と変わりない権力の構図だった。
巻末の解説にも書かれているとおり、この寓話は「支配階級に立つ者は必ず堕落し腐敗する」という権力の本質を描いている。
面白いのが支配される側の動物たちの反応がそれぞれ違うところだ。例えば、頭は悪いが勤勉な馬。豚のリーダーが自分の気に入らない動物たちを処刑したとき、馬はこのようにみずからを言い聞かせる。
きっとわれわれ自身の中に、何かいけないことがあるからなんだ。それを直すにはわしの考えだが、もっといっしょうけんめいに働くしかない。これから、わしは、朝、もう一時間早起きするぞ
彼は自分が頑張ればなんとかなる、と考えている。残念ながら、彼はこの後過労などの理由から処分場に運ばれる。この馬を社畜と置き換えても違和感はない。
ロバのベンジャミンは頭が良く、達観した様子で日々を生きる。誰が指導者になっても生活変わらず悪いままさ、とつぶやく。こんな人ははてな界隈にも多そうだ。
カラスのモーゼズは「世界のどこかには氷菓子山があるよ」と、みんなに夢の国の存在を語り続ける。彼は働きもしないのだがなぜか豚から食糧を手に入れている。僕は彼をアーティストと言うか、新興宗教の主と言うか迷っている。
そして猫は働かない。
猫は物語の冒頭で出てきたきり、ぱたりと姿を見せなくなる。それ以降に発生する指導者の圧政を、彼はどうやってしのいだのか。魚販売のナリワイをつくって生活していたのかもしれない。それはそれで楽しそうだ。
僕はねこになりたい。馬のように労働に精を出すのはどこかでがたがくるし、ロバのように悟りきるのはかっこ悪い。カラスはあまり好きではない。権力に押し付けられることなく、自由奔放に生きてみたい。霞と承認欲求を食べ、たまに下界に降りてみる。
いいなあ。
作品は150ページ前後と読みやすい長さ。扱っているテーマは似ているので、1984年に挫折した人はこちらから読んでみてはどうだろう。
- 作者: ジョージ・オーウェル,George Orwell,高畠文夫
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1995/05
- メディア: 文庫
- 購入: 14人 クリック: 109回
- この商品を含むブログ (123件) を見る