マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

記録と書評 -20140228/「スプートニクの恋人」

ただの記録として。

 小説の書評を書くことははなはだ退屈な行為だと思う。内容を要約し役に立ちそうなところを挙げるなんてまるきり意味のないことだと。小説は自分の生活の中に埋め込まれるべきものであって本だけを取り出してあれこれ述べるべきではないのだ。

 発表が終わったというのに今日も研究室に行かなくてはならない。配属される新入生に対する研究室紹介があり、自分の研究内容を新入生相手にプレゼンするためだ。行きの電車の中で本を開く。いつか読んだスプートニクの恋人。この一年でかなり多くの本を読んできたがそれらの内容がすべて頭に入っているわけではない。いや、むしろほとんど忘れてしまったきがする。しばらくは以前買った本を再読しそれと併せて新しい本も読んでいくとしよう。

 主人公は小説家を目指すすみれという女性に好意をいだく。大学を卒業後、主人公は先生になったがすみれは就職せずにふらふらと小説を書く生活を営む。そうしてあるとき彼女は十七歳年上の女性であるミュウに出会う。ミュウはすみれの顔つきが気に入り貿易関係の仕事を手伝ってくれないかと頼む。ミュウはすみれに高級な洋服を与えたり、おいしいワインの味を覚えさせるなど様々な経験をさせてくれる。 

「どんなことでもそうだけれど、結局いちばん役に立つのは、自分の体を動かし、自分のお金を払って覚えたことね。本から得たできたいの知識じゃなくて」

 僕はぎくりとした。果たして僕が体を動かして学んだ経験は何だろうか。いつも本の感想ばかり書いているがこんなこと何の役に立つのだろう。やらなくちゃいけないなぁ何かを。


 研究室に入ると何名かの友人の姿が目に入った。ある人はプログラムの整理を行い、またある人は就活のエントリーシートの添削をしていた。僕は生協で買ったおにぎりを食べると実験室へ移りパワーポイントの準備をした。しばらくすると学部の三年生がぞろぞろと入ってくる。うちはわりと人気のある研究室なので希望者が多い。彼らの前で昨日と同様の発表を行った。分かる訳がない。

 そうだね?
 そのとおり。

 研究室のここがいやだなというところはありますか、と聞かれたが何も思いつかなかった。数秒考えた後、七階にあるのでエレベーターが動かないと上がってくるのに疲れることですね、と答えた。本当にここは良い研究室だったなと思う。コアタイムもなくやることをやったらすぐに帰ることが出来る。

 村上春樹の小説はだいたい女性がどこかへ消える。すみれとミュウは仕事の関係でギリシャの小さな島に滞在するが、何日かして突然すみれが「煙のように」消えてしまった。ミュウは主人公に電話をかけてとりあえず来てくれるよう頼む。深夜に電話を受けた主人公は急いで準備をして空港へ向かう。学校は春休み期間中でしばらくは留守にしていても大丈夫だ。

 彼のようにどこか遠くへ旅に出たいなと思う。沢木耕太郎の深夜特急をあと三年早く読んでいたら大学のうちに楽に海外へ行けただろう。今はカエサルの影響でいろいろと制約がある。大人になったら(もう十分大人になっているかもしれないが)北欧で暮らしたい。ノルウェー、スウェーデン、フィンランド。あそこは社会保障が充実しているらしいしオシャレな雰囲気がする。

「大事なのは、他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ」

 しかしほんとうにそうか? と文章は続く。この小説はこちら側とあちら側という表現がされており村上春樹らしい物語に仕上がっている。ミュウは十四年前のある事件によって自分が二つに分かれてしまったと述べており、ピッコロかよと突っ込んでしまった。それはどうでも良い話だ。

 ミュウはあちらとこちらへ別れ、かすみもあちらへ行ってしまった。主人公は自分があちら側へ行ったとしても自分の居場所はあるのだろうかと悩む。この辺りの空気感はなんとも不思議なものだ。

 僕の大学生活はとりあえずピリオドを迎えるが、僕の物語はシームレスに続く。本棚にある本の一冊一冊を丁寧に反芻しきたい。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)