マトリョーシカ的日常

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【書評/感想】記憶と自己の距離感、大事。/「暗黒童話」

記憶とはなにか

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暗黒童話 (集英社文庫)

 事故によって左眼と記憶を失ってしまった菜深は眼の移植手術を受けるが、その後から左眼越しに元の持ち主の記憶が再生されるようになった。持ち主に興味を持った菜深は眼の記憶に導かれある町にたどり着く。しかしそこで彼女は猟奇的な事件に巻き込まれてしまう。

 記憶とはなにか。自分とはなにか。そういったことを考えさせられる作品。

記憶はどこに保管されるのか。

 この物語のキーは間違いなく記憶と自己だ。主人公の菜深は事故によって以前までの記憶を失い、まっさらな状態になって病床で目覚める。家族やクラスメイトは彼女を気遣うが当の本人はとまどっている。また記憶だけでなく性格の面においても前までとは異なり社交的な性格から内気で臆病なものになってしまう。

 いつだったか奇跡体験アンビリバボーという番組で心臓移植を行った人々が特集されていた。彼らは記憶の方は支障はなかったが、性格がガラリと変わったという。ベジタリアンから肉食になったり、運動嫌いが運動好きになったり、ネクラがアクティブになったり。今まで記憶は脳にあってそれ以外の臓器は記憶には寄与しないと考えられていたが、他の箇所にも嗜好や仕草や魂は分散されて宿っているのではないか。

 人間の体を構成している細胞は数年のうちに全てが入れ替わる。それだとしたらこの体のどこまでが自分でどこからがそれ以外なのか。考えるのは難しい。

メモリを共有する時代

 菜深はある景色や物を見ると、それが引き金となって左眼の持ち主の記憶が再生されることに気づく。それはブランコだったりレールだったりと様々であるが自分が見たことのない景色を体験できるというのは面白い。

 僕はときどきデジャブを見る。全く同じ場面と音に出くわしてその後に続く会話の流れなども予想できるのだ。正確な記録をしていないので頻度やパターンなどは分からない。今度ほぼ日手帳に記入してみようか。

 ここ十年のうちに世界に流れる情報はあらゆる人に共有されるようになった。インターネット上には今も無数の情報が読書家の積み本以上のレベルで増えている。また技術が発達するスピードもすさまじい。作中の左眼の記憶なんてのも現実世界でそのうち実現できるかもしれない。ドライブレコーダーと小型通信機器を組みあわせてリアルタイムに映像を垂れ流しにすればいい。

 情報が全人類に均一に行き渡っていくと本当に自分ってなんだろなと思う。時間泥棒のように全く同じ身なりで能力値も同じ。オリジナリティのかけらもないようなコモディティ化した人間。ちょっと怖いね。

あ、これはミスリードあるで

 乙一さんの作品を集中的に読んできたから彼の文法というかストーリーのメソッドが分かってきた。それゆえ推理がしやすくなって心構えもできるようになった。しかし最後はちょっと強引だったかな。「今までの俺とは違うぜ」と読者の予想に抗って書いていた印象。

 よい本。