マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

つくりたい欲求不満です

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常日頃気になっているのがブログの筆者はどんな生活を送っているのかということだ。ぼくは彼らの名前も知らないし住所も肩書きも知らない。独り身なのか既婚者なのか浮気者なのか仙人なのか分からない。それなのに毎日記事を読んではいいねを送りあっている不思議な関係だ。例えるなら覆面を被ったトムとジェリーが互いに議論を重ねるようなものだ。ぼくはみんなのことを知りたいと願ったことは八割がだないが残りの二割はやさしさでできている。仕方が無いから聞いてやろうではないかとそのやさしさがおっしゃっているので誰かの生き方をそっくりそのままおうむ返し的に学びたい。それには自分のことを話す方が先だよ得策だよと言われそうなら話が早い。話をしよう。

あれは今から一万いや二千年前くらいだったかかれには七十二通りの名前があるからなたしか最初に会ったときは局長、そう局長だった。彼は生まれ持っての局長でもうリーダー的な存在でありバッジもつけていた。大丈夫だ問題ないが口癖の小学生時代はみなのランドセルを率先して運んだ。じゃんけんで勝っても運んだ。これは彼のリーダースキルのたまものであった。大丈夫、大丈夫問題ないと先生や親にも言っていた。しかしどっこいこれが現実とばかりに先生がクラスの問題として挙げてしまったもんだからさあ大変。ぼくはどうでもよかったのだ。涙の数だけ強くなれる特殊アビリティもジャンクション済みだったしホーリーもマックスまでドローしていた。辛かっただろうって先生あなたは僕の何を知っているんですか。そんな正義さんのような表情をしないでください。


いややめよう。書いているほど僕の人生は辛くない。むしろイージーモードだ。大きな悩みもないし金にも困っていない。コンプレックスなんてないし今は身なりに気をかける必要もない。じゃあなぜブログを書くのかだって?コンプレックスや劣等感が創作意欲に繋がるだって?それがないからいま苦労しているのだ。僕には危機感がない。圧倒的な危機感がない。なんとかなるんじゃないのという楽観的な成分で僕のからだは構成されているのだ。死ぬまであとどのくらい生きているのだろう。明日社会に身一つで放り出されたらぼくは何ができるのだろう。怖いなあ、怖いよ。なんだほんの少しあるじゃないか危機感が。

ブログを書いただけでは社会になにひとつ残らない。みんなの頭に残るよと慰めなくていい。見えないじゃんそんなの。残ってないよ、絶対残ってない。ただの文章よりもっと手に取れるなにかを作りたい。ピラミッド的ななにか。