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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

【書評】あのお婆ちゃんだってむかし恋をしていた/「マディソン郡の橋」

この手の感情を表現するには速さがいる

http://instagram.com/p/gKgq03BBKj/

マディソン郡の橋


 本を読むとときどき心臓が内側からひきちぎられそうになるような読後感を味わうことがある。そんなときの書評を書く時は信じられないくらいの速さがいる。いつもの野帳への下書きも書きたいことの整理もそれらの手順をぜんぶすっとばして。

 マディソン郡の橋は端的に書くと独り身の男性と人妻のラブストーリーだ。これだけだととても薄っぺらい印象を抱くとおもう。この話を冷めたていで読んだ人ならこういう印象を持ってもしかたがない。しかし実際はもっと奥深い神秘的なものが潜んでいる。

お話のはじまり

 これは母を亡くした息子と娘が彼女の死後知った事実を作者に話すという経緯で物語が始まる。田舎町に住んでいた母フランチェスカは農家の主婦でありこの狭いコミュニティに窮屈さを感じていた。そこへさすらいの写真家ロバート・キンケイドが道を尋ねにやってくる。彼はこの近辺にあるマディソン郡の橋を撮影していたが最後のひとつが見つからなかったのだ。案内をし夕食をともにし二人の交流がはじまった。

 そのときフランチェスカの夫は仕事で家を出ておりしばらく帰ってこない。
 二人が共に相手を意識するようになるまで時間はかからなかった。共に時間を過ごしたのはわずか四日間の出来事だった。

あのおばあちゃんもおじいちゃんも恋をしていた


 二人はそれ以来一度も会わなかったが互いに想い合っていた。フランチェスカはよぼよぼのおばあちゃんになっても彼が送ってくれた写真を一年に一回儀式のように見る。僕は心を打たれた。そして反省した。僕が見る風景に同化しているあの老人もあの老婆もみんな昔は恋をしていたのだ。いや今もときめいているかもしれない。彼らは僕らの未来で僕らは彼らの過去だ。そうやって考えると今まで身につけていた色眼鏡からフィルターが一枚落ちたような感覚に陥る。

写真は戦いだ。

 今は本当に写真を撮るのが簡単になった。スマートフォンを手に持ちボタンも押すことなく指一本で映像を残せる。すぐに確認できて加工も配布もできる。作中ではキンケイドが早朝に橋の写真を撮るシーンがあるがこれはひとつの戦争なのではないかと感じた。光のスピードに負けないように道具を切り替え三脚をセットし、構えてシャッターを切る。

 空に赤みがさして、明るさが増す。カメラが十五センチ低くなるように、三脚を調節した。ここではまだ完璧じゃない。さらに三十センチ左により、また脚を調節する。三脚上のカメラの狙いをつけ、絞りをF8にセットして、過焦点(ハイパーフォーカル)テクニックで被写界深度を最大に広げる。それからシャッター・ボタンにケーブル・レリーズを取り付けた。太陽が四割がた顔を出し、橋の古ペンキが暖かい赤に染まった。彼が狙っていたのがこの瞬間だった。

 ちなみに彼が使っているカメラはニコンF。なるほど時代を感じる。

ニコンの銀塩一眼レフカメラ製品一覧 - Wikipediaニコンの銀塩一眼レフカメラ製品一覧 - Wikipedia

テーマソングを紹介

 マディソン郡に出てくる歌で印象的なのは枯れ葉という曲。キンケイドとフランチェスカが彼女の家でダンスを踊った曲だ。キンケイドはおじいちゃんになってからも行きつけの店でこの曲を毎回リクエストした。

 もっと哀愁漂う感じかとおもったらわりとオシャレな感じ。


Cannonball Adderley feat. Miles Davis " Autumn Leaves" (1958) - YouTube

おわりに

 勢いで書くっていう割に調べ物をしたりしてかなり時間が掛かってしまった。

 作者であるロバート・ジェームズ・ウォラーは大学教授でこれが処女作なのだが、執筆したときはなんと五十才を過ぎていた。詩的な表現やカメラに対する造詣の深さは年の功によるところが大きいのか。

 本日はここまで。