教えるということは時間がかかる
最近話題のイケダハヤト記法で推敲もせず書いてみる。今日はひたすら動的計画法を勉強していた。Topcoderの問題を参考にJavaで書いてあるサイトを見ながら。それにしても分かりにくい。僕が無知であることも関係しているのだけれど、いきなり分からない表現が出てきたり、ステップが跳んでいたりする。
そう、教えることは面倒くさいのだ。画像をつけたり説明文をつけたり何度も書き直してみたりして、時間もかかる。しかしだからこそその記事は価値があるものになる。僕は人に比べて教えることに費やす時間や苦労を苦にしないというところがある。僕自身が初心者なのでゼロベースから教える記事を書くことが出来る。強みだ。きっと。
そんなこんなでさっきまで記事を書いていたのだが、いかんせん時間がかかる。今日中には終わらないだろう。でもこれができれば感謝される! たくさんの人からイイネがもらえる! そう信じてる。
本は背表紙を見せて初めて価値が生まれる
とにかくブックカバーをはずすことが大事だ。背表紙を見せて本棚にならべてみるとなんともいえない満足感が生まれる。これは僕の好きの集まりなのだ。選んだ本、気に入った表現、思想、全てがここに詰まっている。わくわくしてくる。
父は実家に書斎を持っていた。専門の書籍や大きなイス、自分の名前と住所が書いてある判子。全てが羨ましく思えた。さすがにあれほど大きな書斎をもつのは無理だけど、たくさん本がはいる本棚は欲しい。あと電子工作ができる作業台と自分専用のパソコン、座り心地のいい座椅子。いいなあ。
まとまりのない文章だ。