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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

ひたすら式を展開しながら無駄があふれる大学生活をかえりみた。

読書

http://www.flickr.com/photos/37996583811@N01/10352854943
photo by Rain Rabbit

どうあがいても、無駄。

 就職活動が本格化するまえに研究をかたちにしておこうと意気込み、そのせいか最近忙しい。大学近くのスタバ(人生二度目)でひたすら数式を展開していた。これができれば平面上に望ましい値の領域がでてくれるはずだ。計算自体はmatlabさんにお任せするが。

 Jetstreamのボールペンを走らせながらいままでの大学生活を振り返った。はじめての一人暮らし、サークル活動、休日のまちめぐり、ネット、ゲーム、漫画、2ch、ニコニコ、twitter…。はて、僕は大学で何を学び、何を身につけたというのだろう。悪魔的に無意味な四年間が目の前にひろがっていた。

なんかこう、罪深いよな。

 私は来し五年を思い描きながら呟いた。この五年間の、どの時点をとってみても、金太郎飴のように同じ光景が浮かんだ。
「そうそういつも役に立つことばかり喋れん。だが、それにしても、この壮大な無駄は何なのだろうな。何かこう、罪深いよな」

太陽の塔 (新潮文庫)



 太陽の塔に登場する「私」は、友人と酒を飲み交わしながらどうでもいい会話をする。大学生活(休学を含めて)五年間ずっと。この罪深いという表現が僕は気に入った。何でもできたはずなのに何もしていない。そんな無駄は犯罪級だと。

 でも仕方ないと思う。有意義な大学生活なんてないのだから。ただ勉強するだけなら図書館でも家でもできる。大学へ通う理由は、圧倒的な「無駄」を得るためだ。無駄はわるいものではない。必要のないことがらを自分の中に入れておく、つまりあそびをつくるという行為は、本当に必要なことをするときに活きてくる。潤滑油のような役割だ。

おわりに

 たくさんたくさん、無駄を作ろう。何をしてもいいのだから、何もしなくてもいい。そんなことが出来るのは大学生だけだから。