マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

ボールネジとリニアガイドの納期が長すぎてやばい/「いきのびるためのデザイン」

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 眠たげな脳髄を揺り動かして出てくる言葉は半分は真実で、もう半分は虚無である。そういえば、今日の帰りの電車は乗客が多く、みなどこかへ帰ろうとしていた。三月は一息ですぎていき、じきに新年度が始まるのだ。そうはいっても、私にとっては平凡な週明けでしかなく、業務の明確な区切りを持てずにいる。持て余した左手は一瞬缶コーヒーにてをかけて、やめた。やめた。

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好きなこと×承認×時間=いいかんじのあれ/働く大人のための「学び」の教科書

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 すっごい楽しそうな記事を読んだ。
www.nakahara-lab.net

 人間の学習にはインプットとアウトプットだけではだめで、読み込んだ情報をじぶんで咀嚼することが大事だよーと書いてあった。たしかにそうだ!と思い、記事下で紹介されていた本を購入した。久しぶりに衝動買いをした。でも読んだみたらびっくりするほどいまの自分にフィットしていて、春が来たんだなぁと実感した。それが写真の本。「働く大人のための『学び』の教科書」。

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3Dプリンターで黄金比スケーラーをつくった。

 黄金比を知っているか。

「比率なんだ。一対〇・六一八〇三四。古代ギリシャ人たちはそれを黄金分割とか黄金長方形と呼んでいた。
(略)
「それは宇宙に遍在しているんだ。ミクロ宇宙からマクロ宇宙まで。それは神様の名前のひとつと呼ばれている。」

ヴァリスより

 楽しそうだ。そう感じたので、黄金比が図れる定規をつくろうと思った。Fusion360を起動しよう。

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文章としての願い

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だめだ。なんか反るぞ。また来週頑張ろ

 久しぶりに見つけたイヤホンは片側が聞こえなくなっていた。私は片側だけ耳にさして音楽を聴き、そうして文章を書いている。朝が来ようとしている。振り返ると学生のころはひどく自堕落な暮らしをしていたようだ。講義がある日も自由な時間が多く、長期休暇に入るとそれはさらに増長した。自由が私を襲ってきたのだ。あの何にでもなれそうな空気を吸って吐いてキャンパスを歩いていたのが懐かしい。

 理想の生活をいつも思い描いている。自分の好きなことだけをして暮らせるような。ちかごろその次元が落ちてきて、単純な悩みではなくなってきた。なんて言えばいいのか。ただ悩むことではなく、どうすればそれが叶うのかを考えるようになったのだ。不思議だ。じつに不思議。その不思議は置いておこう。まずは給与以外の副収入が必要だ。なにか副業をはじめたほうがいいだろう。どんなことが考えらえるか。

  • 3Dデータの作成代行
  • アフィリエイト
  • クラウドワークスとかの利用
  • 製品をつくって売る
  • なんかの講習を開く

 すっごいざっくりとしている。でも楽しそうではある。今何をしているかも付け足してみよう。

  • 3Dデータの作成代行→ココナラに出している
  • アフィリエイト→ブログにamazonの広告を張っている。googleアドセンスは見栄えが悪いから外した。
  • クラウドワークスとかの利用→利用しているけど仕事少ない。
  • 製品をつくって売る→ネットショップが一応あるけど売るものが無い。
  • なんかの講習を開く→やってない。

私としては自身のワクワクをエネルギーにして生きていきたい。ワクワクをお金に換算したい。だれかが望むものをつくる!と考えるよりも自分がほしいものをどんどん前面にだしていけばよさげ。なんてったって世界には七十億人くらいの人がいるからね。そのうちの百人くらいがぐっとくるものを売ればいいわけで。そうだね。

 ものをつくっていきる!それが定めな気がしてきた。じっさい、3Dプリンターを稼働させていると「ゆるされている!」という気分になってくる。なにに許されているのかはわからないが。しっくりくる。最近は会社でもものをつくってばかりいるので、そこでもしっくりくる。あとは一緒に頑張れる有志がほしいなあ。フランスとかコロンビアとかケニアとかのひととグローバルにものづくりをしてみたい。くだらないロボットを作ってみたりね。

 発信しつづければ誰かに届くのだろうか。よくわからないけれどこれが私の願いなんです。あと、だれか3Dプリンターで造形するときに、造形物が反らない方法教えてください。
 

#私の一人暮らし

自宅ではじめるモノづくり超入門

自宅ではじめるモノづくり超入門

秒速の文章

 速さは全てを凌駕するというが、文章にも同じようなことが起こるのだろうか。私はいままで何かを考えながら文章を紡いでいた。だいたいの統合性とかリズム感を肌で感じ取っていたのだ。しかし、それは全部無駄なことではないか。大切なのは自分の匂いを質感を重心を整えてやることであって、そうしながら教えることではないか。私がいま考えているのは電源タップのことだ。だれかがタップという単語を使うを聞くと、ネジ形状を形作るあれではないかと連想してしまったが、彼は電源タップのことを言っていた。新しいデスクにはコンセントが二口しかないから、タップでもって口を増やそうという算段である。しかしながら、口を増やしたところで受け入れらる容量が増えるわけではない。限界量は同じなのである。それでも人間はあたかも制限が緩くなったように感じてしまう。それがいけないのだ。知らないけど。

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