マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

文章によるデトックスサプライズ。

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Photo by Manu Adán on Unsplash

 生き死にを繰り返しながらそれでも生きていて、ついこの間買ったひまわりは一週間で花瓶の中で枯れた。逆に言えば彼らは切り花になりながらも、一週間は生命を維持できたわけであって、それは会社の近くで鳴いていたセミのそれに等しい。私はというと順調に年を経ているようで、文章を書かなくてもしっかりと呼吸はできているし、笑うし涙を流すこともあってめまぐるしさが付着している。ノアザミはようやく姿を消した。

 通勤電車の中で野帳に言葉を記入することがあって、その内容は日々の思考の切れ端でしかないが、その効能はわりと優れている。出力の頻度を高めることは実現を早めることにつながるようだ。私は一年以上前から似たようなことを考えるくせがあるらしく、変わらない想いを胸に抱いて両手を広げていた。それが最近では実現可能性の助詞を使うようになり、日常がアップデートしていくのを感じる。日常2.0だ。

 まわりくどい文章は嫌いだろうか。私は好きではない。しかしこの文章のゴールは自分のあずかり知らぬところにあるため、ストレートに表現することはできない。おそらく、ブログの更新を怠っていたせいだ。自己に内包している出来事に意味をつける作業を定期的に投下してやらないと、このように文章がおかしな方向へ進む。これでもいいか。

 好きなアイスはパルムです。

今週のお題「好きなアイス」

とりとめのなさと一九八四年

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Mountain, loneliness, solitude, wilderness and natural elevation HD photo by David Marcu (@davidmarcu) on Unsplash

 自分の中にある言葉の少なさにあきれている。何かを参照しない限り何も語ることができない。そのような人間になっている。しかし、そうはいってもやはり文章を書く行為全般は何らかの刺激によってなされるはずであって、参照のない出力などこの世には存在しないのだろう。

 アンダーグラフの昔の曲を聞いたら学生時代を思い出し、久しぶりにサークルのホームページを見ようとした。閉鎖していた。こうして私の過去がひとつ閉じられた。あそこに収納していた出来事は果たして実在していたのか。実際、あれに所属したのは1年ほどだったので、記憶がより薄い。それでも今回のようなケースで過去が蘇ってくる瞬間は存在するので油断できない。

 音楽に過去と現在を繋ぎ止める力があるのだとすれば、ここ数年の出来事はもうしばらくしたら消え去ってしまうのだろう。それほどまでに曲を聞いていない。アナログでもデジタルでも楽曲を購入し、そいつをリッスンする習慣がなくなったのだ。

 電車通勤になってからメモと読書の時間が増えた。メモは野帳に万年筆で自分の思索を書き残している程度で、読書はページをめくる程度だ。最近は「一九八四年」を読み直している。「全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖」(wikipedia) を描いた作品で平たく言うと国中で道徳の授業をやっているような感じだ。二重思考とニュースピークによって人間の多様性が失われるなかで、主人公のウィンストンはこの世界をぶっつぶしたいと考える。そんな中で美女のジュリアと出会ったり、反社会組織に入会したりと運気は上向いていく。しかし。

 作中でオブライエンというおっさんが「過去は改変可能だ」と言っていた。観測者の精神によって過去は変わるのだと。主人公ははじめは抗うが度重なる嫌がらせに、精神がおかしくなってしまい、「そうかもなぁ」と感じるようになってしまった。過去は変わるのか。どうなのか。過去という言葉はあやふやでおおまかでざっくりしすぎているから、よくわからない。そもそも変わるということが曖昧だなぁと思った。

 時間は長い短いと表現できるが、広い狭いとはいうことができない。どうしたらそんな風にいい表すことができるか。少しだけ考えた。二人の観測者が独立の時間軸を有していて、そこに別の観測者が意味合いをもたせる。そんな具合か。なんにせよ、神様でもない限りその次元の発想は困難である。

 どこかで思考を書き留めておかなければ、私が霧散してしまいそうで、だからこうして書いている。この文章に色はあるのか。ないか。

一九八四年 (ハヤカワepi文庫)

一九八四年 (ハヤカワepi文庫)

ワクワクの可能性を上げる種まき/「自分が信じていることを疑う勇気」(献本)

https://www.instagram.com/p/BV5faNngVo7/

 帰り道に見かけたノアザミたちはどれもが空を一直線に見上げていた。まだ夜ではなかった。雨も降っていなかった。梅雨入りしたはずなのに、今年はあまり傘の出番がない。彼には申し訳ないことをしている。私は気分がいい。日々の仕事に追われているが、ストレスはまったくない。自分がしたい仕事であるからというのもあるし、誰かに必要とされているからということもある。「今のような業務があとどのくらいできるのだろう」と考えてはいるが、それは誰も知らない。知らないけど、それでまた今月も生き延びることができる。それで十分じゃないか。コンビニで買った缶コーヒーを駅のホームで飲む。また喜ばしからずや。

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単位体積あたりの思想/「論語」

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Photo by Zoltan Kovacs | Unsplash

 晴れてはいたが、水分が多かった。六月のムッとした空気が停車している電車を押しつぶしていた。それは私のホームとは反対にあって、私が乗るべき電車はまだきていなかった。この情景描写は本文とはまったく関係ないが、それを記録しておくべきと私は感じていた。そうしてこうなった。

 wishリスト経由でおいもさんから『論語』をいただいた。ありがとうございます。時間が経ってしまったが、少しばかり感想を書こう。論語とは、中国の孔子というおっさんがえらいこと述べてたものを集めたものだ。おっさんはだいたい紀元前五五〇年から四七九年まで生きていた人間で、割と古い人間だ。

 論語の中心となるのは仁、君子という要素であり、だれもがそれを夢見ている。仁を持ちたいな、君子となりたいな、それにはこれが必要でこれが不必要だ。彼は君子で彼は君子ではない。そんなことを淡々と述べている。孔子はたくさんの弟子がいて、その中ので出来のいい弟子は作中にも登場する。出来のいい弟子は、「どうやったら偉くなれるんですか!?」「君子になりたいけどどうすればいいんですか!?」と質問してくる。孔子はさらりと答える。いろいろと繰り返している。

 子の曰く、与に言うべくしてこれと言わざれば、人を失う。与に言うべからずしてこれと言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦た言を失わず。

 よく話し合わないと人を失ってしまうし、言い過ぎたら言葉を無駄にしてしまう。この言葉を無駄にするという発想が面白かった。私は言葉は無限のリソースがあって、無からいくらでも生み出るようなイメージを持っていた。そんなことはないのか。確かウィトゲンシュタインは語ることを思想の単位としてやって、「我々はどこまで語り得るか」を実験していた。「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」つまりは言葉は通貨のように有限だったのだ。そうか。

 世界を構成する要素のごく一部に鋼材がある。それはアングルやH鋼という種類があって、断面がL字だったりH字だったりする。

H形鋼,形鋼,鋼材,重量,質量,寸法

彼らの大きさはある程度決まっており、定尺とか標準寸法と呼ばれる。私はその中から必要な大きさのものを探す。自分がつくりたいものと、既存の物体の間を行き来し図面が出来上がる。楽しい作業だ。そうして改めて世界を見渡すとそこかしこに標準寸法の鋼材が使われている。かれらもひとつの単位なのだ。単位。

 孔子はこの世界をどのような単位で見ていたのか。仁や君子なのか。わからない。わからないまま明日が来る。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

くっそくだらないハードウェアをつくるぞ!/メイカーズのエコシステム

https://www.instagram.com/p/BVJeWBLBPW0/

 モモの小説に出てくる時間泥棒に襲われているような日々だ。時間が驚くほど少ない。いや、時間がすくないというより満足のいく使い方ができていないだけか。以前、私は自身のことを「本を読む、文章をかく、ものをつくる、そういうことでしか経験値を得られない人間」だと書いた。(気がする。)それらができないとそわそわするし、もやもやするし、嫌な気分になる。そう。私は文章を書いていない。

 からあげさんからwishリスト経由で『メイカーズのエコシステム』という本をいただいた。ありがとうございます!!メイカーズとは自由にものづくりをする人々の総称。彼らは既存の企業にとらわれることなく、自分たちの好きなようにつくってワクワクしている。非常に愉快な連中だ。本書では中国は深圳のメイカームーブメントの模様を中心して、未来の新しいワクワクを紹介している。

 本にはニュータイプのわくわくも存在していたが、実際にハードウェアを製造するのはどんな感じかが詳しく書かれていた。流行りのハードウェアスタートアップだ。キックスターターでお金を集めて深圳の工場群に部品を注文する。そうしてできあがる不完全な製品。再検討。すさまじく遅れる進捗。それでいて購入者はあまり怒らない。こういうのをインディーデザインと言って、同人誌のハードウェア版になるらしい。

 楽しそう。残念ながらいまは楽しそうしかかけない。私はこの本を読んで何を実践できるのか。何らかのハードを生み出すことができるか。くっそくだらないハードウェアをばんばん作りたいなぁ。

tsukutta.hatenablog.com

こんな感じの。

 ハードウェアスタートアップは、ヒッチハイクで友達の家のソファーを渡り歩いて成功への路を歩まなければならない。お金以外の価値をベンダーにもたらすために、まずは「いつも笑顔で楽しそうでいること」を強くおススメする。
p195

 楽しげにがんばっていきたい。